まとめたノート

なんでもまとめ


俺が昔まだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話

俺が昔まだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。

その店は10階建てのビルの地下にあったんだ。
で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて
人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのが
わかる仕組みになってたんだ。

でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって
事があって、俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって半分冗談みたいに
ウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくり どうぞ~」と言ったんだ。

それからはそれが、おまじないというか、げんかつぎみたいになって
そうゆうことがあると、いつもそれをしてたんだ。そのうちお客さんも
「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって(そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった)
姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思ってたんだ。

で、ある冬の朝方またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って
外を見ても誰も居ない。なんかそのまま朝の空気が心地よいので
階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。そう阪神大震災です。
うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。

あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けて
くれたのかなぁと思います。

今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのに
ギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。
そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています。 

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。 

3年前に父親が死にました

3年前に父親が死にました。
自営業だった工場が倒産して借金だけが残って
それを返済するために他からの借金で埋めて……という悪循環。

私もサラ金から100万くらい借りていました。 自業自得とはいえ
社長だった父が新聞の勧誘員になって、 随分辛い思いもしたと思います。

でも当時は愚痴ばかり言う父が嫌で、
一人暮らしの私にちょくちょく小遣いをもらいにくる姿を見るのが辛くて
「貧乏ってこんなに人を落とすんだ」と思いました。
それよりなにより自分の方も金銭的に追いつめられて
ある日突然に、こっそりと親戚を頼って引っ越しました。

引っ越して2年後に、親戚経由で父が死んだと連絡が来ました。
棺の中の父は信じられないくらい老いて、小さくなっていました。やっぱりいい思い出ばかり思い出して、
自分のことばかり考えて父親を捨てた自分が最低に思えました。

こんな自分に泣く資格はないと思って我慢していたけど、葬式が終わって父親の携帯が不意に鳴って、
それが無差別に送られた「メル友になろう」なんてメールだったので途端にわけもわからず泣けてきました。

これを持っていたのは、なにもかもなくしてしまった寂しい60歳の親父だよ。
そしてもうその人はこの世にいないんだよ。 そう言ってやりたくなった。

そしてその寂しい親父を捨てた自分にももっと腹が立って、
涙が止まらなかった。 

ヽJ(`Д´)しノ そんな悪い子はウチの子やないっ!出て行きなさいっ!

ヽJ(`Д´)しノ そんな悪い子はウチの子やないっ!出て行きなさいっ!

(ノД`) アーンアーン、出て行ってやる~

ヽJ(`Д´)しノ 待ち!その服はオカーサンが買うてやったんや!置いてき!

(ノД`) アーンアーン(服脱いで出て行こうとする)

ヽJ(`Д´)しノ 待ち!そのパンツもオカーサンが買うてやったんや!置いてき!

(ノД`) アーンアーン(パンツも脱いで出て行こうとする)

・゚・J(ノД`)し・゚・。 待ち!アンタはオカーサンがこしらえたんや!置いてき!(ギュー)

・゚・(ノД`)・゚・。 カーチャン、アーンアーン(ギュー) 

中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが突然亡くなった

私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ~ん!行かないで~僕を置いていかないで~
おかあさんなんでしんじゃったんだよ~またおみそ汁作って
よ~いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(笑 

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