まとめたノート

なんでもまとめ


すごろく

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。 

ドラクエ3

私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきた

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。 

学生時代、貧乏旅行をした。

学生時代、貧乏旅行をした。帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。

すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。わけを話すと、持っていた
茹で卵を2個分けてくれた。さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。
さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、
「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」
私は感極まって泣いてしまった。

お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが。最近産まれた初孫のことを詠った
自作の和歌集を携えて遊びに行くという。ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの
糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座して
ぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。
「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」
恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。

結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。
何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にある。
腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。 

定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。

去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。

「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」 

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