まとめたノート

なんでもまとめ


少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした 

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。 

ばあちゃんは俺のばあちゃんだった

ばあちゃん……
俺がうまいって言ったら、ずーっとそればっか作ってくれたな……
子供の俺には嬉しかったよ、ばあちゃん

死に目に会えなくてゴメンネ、子供だった俺は深夜1時過ぎまで起きてられなかったんだ
それに「倒れた」って聞いても、すぐに起きるもんだと思ってんだよ
最後に俺の名前呼んでくれたそうだね、その時のばあちゃんの気持ち考えると切なくなる

ばあちゃんが亡くなってから10数年、二十歳を過ぎた頃になって
父さんからばあちゃんの話を聞いた時ショックだった
ばあちゃんはじいちゃんの後妻で、父さんとは血が繋がってない
つまり俺とばあちゃんは、言ってしまえば赤の他人

それを聞いたとき「最後に俺の名前を呼んでくれたこと」を思い出し
ばあちゃんが死んだ時より泣いた

血の繋がりとか戸籍上とか関係無く、ばあちゃんは俺のばあちゃんだった 

ちょっとした事で母とケンカした

ちょっとした事で母とケンカした。

3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、
一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。
「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」
事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、
ついに今日
「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」

と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして
「やばい!怒られる」と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。

いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。

夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。遅い。遅すぎる。
まさか事故にでもあったのか‥?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず‥
なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。

「ただいまー。」

いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、
目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。

「何これ?」と母に聞くと、

重たそうなその袋を見ながら
「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」

頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。

「こんなにたくさん‥」驚いてもうそれしか言えなかった。こんな時間まで私のために母は‥

「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。
風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」

もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。もっと応援しろだなんて‥
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。いつもいつもいつもいつもありがとう。

その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

親父が時計をくれた

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
   最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。 

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